事業承継を積極的に始めるようになったきっかけについて

date_range2022/10/11
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城南村田 代表の青沼です。

我々の事業は、紙卸商からはじまり今では真空成型用金型製造、木型造形、ソフビ販売、そして子会社の札幌のスズキ工業所ではJR北海道のブレーキ・農機具・漁具等の製造、川口の子会社である大樹では抜き型製造を行っています。

なぜ紙卸商から始まった我々が、このように多岐にわたる製造を手掛けるようになったのか?

(あおぬま通信9月号からの続きです。)
当日は朝から営業で担当顧客を回っていました。お昼過ぎに会社の近くまで車を運転して来た時に、異変に気が付きました。電柱が大きく揺れていました。最初は目の錯覚かと思いました。しかし家から飛び出してくる人たちを見て、大変だと思いました。すぐに会社へ戻りました。

会社に戻ると、社員がみんな外に出ていました。聞くと、大きな被害は出ていない様子でした。一旦外出しましたが、思い直して会社に戻りました。配送員の状況を聞くと渋滞で戻れない様子でした。コンビニで食料や飲み物を用意して、社員と食事をしながら様子を見守りました。

帰れない・戻れない社員。営業に車で社員を送らせ、帰れない社員は自宅に泊めました。倉庫に連絡すると在庫品は多少被害が出た程度でした。ですが後日日本製紙の石巻工場に大きな被害が出た事が判明。今後の仕入れに影響が出ると予想されましたが、一ヶ月はなんとかやり過ごせました。
問題はその後でした。紙の仕入が出来なくなりました。

製紙業界は大手顧客である出版社の月刊誌や週刊誌の紙を切らす事は出来ません。その為、業界で協力してメーカーを問わずお互いに助け合いを始めました。

皺寄せが我々中小卸商にきました。中小卸商向けのメーカーや代理店の在庫が無くなりました。顧客は媒体を紙からネットへ変え始めました。

その後、ネットに変更した先の多くが紙に戻る事はありませんでした。更に固定費を減らす必要が出て来ました。出来る事はほとんどありません。営業時間配分をより金型・トレーに多くする様に指示しました。又同じ問題が発生しました。

営業時間の配分を変えられないのです。日々慣れた顧客へ訪問して、それ以外に金型の営業も行う。紙は日々流れます。金型は試作から始めて1〜2ヶ月かかります。同時にこなすのは大変だったと思います。しかし、そうして貰うしか方法がありません。時間だけが過ぎ結果は出ませんでした。
紙事業譲渡の決断を下さなければならない時が来ました。

顧客に迷惑がかからない様に、倉庫の外注先を近隣の紙卸商への比率を数年前から上げていました。ある日その外注先の社長へ連絡し、営業譲渡の話を持って行きました。条件は営業権の譲渡、紙関連の社員の転籍、在庫の買い取りです。
無事に紙事業譲渡は出来ました。

次は金型事業の強みを活かして黒字化させる事です。紙事業譲渡の前年に金型会社の前オーナーの次男である専務が引退しました。彼が担当していた営業先を全て引き受け、毎朝6時からと週末に管理の仕事を行い、平日の営業時間内は営業の仕事を行いました。休み無く働き、何とか流れを途切れさせる事は避けられました。

次はしっかりと黒字化させ、次の世代を育てられる環境作りです。以前は安かろう、悪かろうというモノづくりでした。価格が安い為多くの金型受注を抱え、品質は下がり納期も頻繁に遅れていました。これまでの取組で質はかなり向上し、納期遅れも特別な理由がない限り発生しないようになりました。

質を上げ単価を上げないと再投資が出来ません。2019年から金型単価の値上げを行いました。単価を上げる事によって受注量を減らし、浮いた時間を残業の減少やトレーニングの時間に充てる予定です。後日誤算が発覚します。
多くの顧客から不満が出ました。

しかし値上げ前から図面(木型から作る金型図面作成は大変です)、検品書の整備等を求められていました。実際に品質向上させ納期遅れも無くなっていました。モノづくりとしては当たり前の事ですが、これらを省く事で短納期・低価格を実現していたので実現する体制整備にコストがかかっていました。

この値上げが認められなければ、真空成形事業を辞めるくらいの覚悟で行いました。再投資できなければ、新しく社員も雇えなく、社員を幸せには出来ません。

我々は「仕事とは、顧客を通じて社会貢献し、その仕事が社員を幸せにする」そのように考えています。そんな時にコロナ禍が訪れました。

我々の金型はギフト用菓子に使われます。コロナ禍により外出は制限されました。ギフト商材の売上は大きく下がり、我々の売上減少幅もリーマンショック時を大きく上回りました。マシンは稼働せず人手は余りました。

そんな時に新聞でフェイスシールドが足りていない事を知りました。

仕事がない中でどうやって社会貢献するのか?赤字ならば「逆にそれを気にせず出来る事をやる」と決め、20,000セットのフェイスシールドを、医療関係者を中心に無償配布しました。連日問い合わせが入り、お礼の電話、メール、手紙が届きました。売上はありませんが大切な物を頂けた気がしました。

大切な事を見落としていました。仕事はみんなが、社会貢献する仕組みです。我々は金型製造においてどんな役割を担って来たのか?それは、品質は劣るかもしれないけれど短納期・低価格で金型を提供する事だったのです。コロナ禍が落ち着きはじめても、売上は戻りませんでした。判断を間違えていたようです。

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