運動会 ―あさい通信―

date_range2025/6/06
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お世話になっております。大樹の浅井です。いつもご覧いただきありがとうございます。

先日、中学2年生になる娘の運動会を観に行ってきました。

私のころは10月開催でしたが、クラス替えが4月に行われるため、運動会を通じてコミュニケーションを深める目的があるとか。

会場となったのは、私自身も通っていた中学校。35年くらい前、校舎が新しくてピカピカだった頃に私もここで運動会をしていたことを思い出しました。久しぶりに訪れた母校は、さすがに年月を感じさせるほど老朽化していて、「そりゃあれから35年も経てばなあ…」と妙に納得しながら、時の流れの速さをしみじみと感じました。

競技の内容も、昔とはずいぶん変わっていて驚きました。私の頃は、組体操や棒倒し、騎馬戦といった、いわゆる「男の戦い」的な競技が当たり前にありました。ケガの危険は確かにありましたが、全力でぶつかり合っていたあの緊張感や熱量は、今思えばとても貴重な体験だった気がします。

ところが、今の運動会にはそういった競技はすっかり姿を消していました。最近は安全面の配慮からだそうですが、少し寂しい気もします。代わりに、ダンスやリレー、障害物競走など、見ていてほのぼのするような競技が中心でした。娘は女の子ということもあってか、そういった雰囲気を楽しんでいる様子で、終始にこにこしていました。

欧米では特定種目の競技会やそれを複合させたスポーツ競技会、また子どもの伝統的な遊戯まつりやピクニック会などが主流となっている。(Wikipedia参照

演技の合間に、ふと娘の目がこちらに向いたので手を振ってみたのですが、そっけなく手を見せただけでスルーされてしまいました(笑)。たぶん照れくさかったんでしょうね。そう思うことにしました。(笑)でもその瞬間、私自身が中学生だった頃の運動会でのことを思い出しました。

当時、親が見に来てくれていたのに、声をかけられてもわざと不愛想にしていたこと、正直ちょっと面倒くさいなあと思っていたこと、友達の前で声掛けないでよ…今となっては、なんだか申し訳ない気持ちになります。あのときの親の気持ちを、いま自分が親になってようやく少しわかった気がします。

こうして娘の姿を見ていると、「親に見に来てもらえる」ということが、どれだけありがたいことだったのかを思い知ります。そして、「そろそろちゃんと親孝行しないとなあ…」なんてことも思ったりしました。

来年は娘も中学3年生になります。高校に進学すると、学校行事を親が見に行く機会もグッと減ってしまうかもしれません。もしかすると、こうして運動会を観に行けるのも来年が最後になるのかな…と、帰り道に少しだけ寂しさを感じました。

子どもが成長するのはうれしいことですが、それと同時に「今しか見られない姿」や「今しか感じられない感情」があるということも、こうした行事のたびに思い知らされます。 来年の運動会も、また晴れますように。
そして、そっけなく手を振り返されてもめげずに(笑)、しっかりと目に焼きつけておきたいと思います。

慶應義塾運動会(写真)。運動会の起源はイギリスやドイツの職工体育的行事にあるとされているが、はじめて組織的に行われたのは、19世紀中頃のオックスフォード大学だとされている。

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