事業承継を積極的に始めるようになったきっかけについて

date_range2022/7/25
folderあおぬま通信

こんにちは。いつもお世話になります。
青沼隆宏です。

我々の事業は紙卸商からはじまり、今では真空成型用金型製造、木型造形、ソフビ販売、そして子会社の札幌にあるスズキ工業所ではJR北海道のブレーキ・農機具・漁具等の製造、川口にある子会社である大樹では抜き型製造を行っています。

なぜ紙卸商から始まった我々がこのように多岐にわたる製造を手掛けるようになったのか?

もう15年ほど前になりますが、紙屋の再建を終えた我々は、新規事業立ち上げに苦労していました。そんな時に銀行から金型製造会社を紹介されました。

社内で相談すると全員が反対しました。
理由は紙屋が金型を作る事は出来ないから。

しかし紙事業の将来に不安を感じていた私は、先方の社長と一年かけてじっくりと話をして一年後M&Aする事を決めました。

金型製造会社の経営状態は健全でした。
前オーナーの弟である専務は売却に納得していない様子でした。

過去の過ちを犯さない為に、慎重に時間をかけて経営に関わりました。
利益が出ているので現場には手をつけない。変えるのは管理部門のみ。
現場の職人とは信頼関係を築く為に時間を使う。

前オーナーは5人兄弟の長男で、兄弟全員が会社で働いていました。
営業兼工場長の次男の専務は、今回のM&Aに納得していない様子でした。

長男を含む残りの四人は、職人でした。
長男と三男は木型職人で、その技術が会社の強みでした。

兄弟が全ての部署に配置され、何かがあっても兄弟だけで仕事を回せるある意味完璧な仕組みになっていました。

兄弟に依存しすぎている状況を改善する為、紙屋から再建時に社員をまとめ上げてくれた実績のある社員を転籍させて工場長にしました。
彼は人と接するのが上手なので専務とも上手くやって現場を纏めてくれるはずです。金型の作り方はこれから勉強すれば大丈夫だと思いました。

会社としてのルールが何もない状況だったのでM&Aして一年後に朝礼を始め、年2回の個人面談を始めました。後々これが大きな問題を生む事になります。

三男である木型職人が「ルール化された会社は性に合わないから辞める」と言い出しました。前オーナーである会長が説得しましたが、ダメでした。

毎月三男と話をしました。
説得ではなくただ話をして、話を聞きました。

ある時会長は「あいつは辞めて死ぬつもりじゃないかと思う」と言っていました。私はまさかと思いましたが話を重ねるうちに、有り得るかもしれないと思うようになりました。

三男は「辞めたら一年かけて四国へお遍路さんへ行く」と話をしていました。
結局、三男は9月に退職しました。

それから一年後。8月に四国の警察から連絡がありました。

会長と工場長が四国へ飛びました。
「何度か失敗した様ですが、意思が固かったのだと思います」と説明されたそうです。

辛いとか悲しいとか何も感じませんでした。
僕は冷酷な人間なのだろうか?自問自答しました。

答えは出ませんでした。

何があっても経営者として、先に進まなければならないと思いました。

何の為に経営しているのか?

会社ってなんだ?

三男の訃報に接して以降、私は、会社は社員及びそこに関わる人を幸せにするべき場所なのだと思うようになりました。

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