アイデンティティ ー あおぬま通信

date_range2024/2/12
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城南ホールディング 代表の青沼です。

2019年に同学年の幼馴染を亡くしました。49歳でした。前年に肺ガンが見つかり1年経たずに旅立ちました。小学校を卒業するまで一緒に幼稚園に通い・スイミングスクールへ通い・小学校へ通い・塾へ通いました。夏休みは毎朝カブトムシ・クワガタを取りに行きました。兄弟の様に一緒に過ごしてきました(多分、あの時期に最も長い時間を一緒に過ごした人間だと思う)。

お互い大学を卒業してからは数年に一度飲む程度で特別親しい付き合いをしていた訳ではありませんでしたが、彼の死は僕の中の何かを変えました。彼が死ぬまでの数か月間はお見舞いに行ったり、(彼の体に負担をかけてしまうので)ラインでのやり取りをしたり、ほぼ毎日のように会話(ライン)していました。ラインは相手の調子の状況が分かりづらい為に健康に問題のない人と会話をしているように錯覚します。

ある日彼の死を伝えるラインが奥さんから入りました。翌日彼に最後の挨拶をしに自宅へ行きました。痩せてはいましたが、普通に寝ているように見えました。

生前、彼と50代に何をするのか?という話になりました。当時の僕はリーマンショック・東日本震災による業績の悪化からようやく復調の兆しが見え始めた時期であったので、「50代」と言われても仕事以外の事を考える余裕がなく、その旨を話しました。

彼に「俺はxxxをやりたいんだ」と言われ(50代が訪れない事を理解した上での発言だと思います)、同時に「隆宏は何をバカな事を言っているんだ。時間が有るんだからやろうと思ったら、何でも挑戦出来るだろう!」と強めに言われた事を覚えています。

その時にぼんやりと「そうだよな。時間が有るんだからやろうと思ったら何でも挑戦出来るよな」と思いました。実際は仕事以外の事を考える余裕がないので「50代でやりたい事」などと言われても思いつかないのも当たり前でした。同時に「仕事・仕事」と言っている自分を鑑みて「20代の頃の自分はこんな人間だったっけ?」と疑問に思いました。そんなやり取りの最中に彼の死を迎えました。

僕自身はその後アイデンティティを失ったような状態になりました。自分自身が何者か分からなくなったのです。彼の死から数か月後を経て毎月カウンセリングに通うようになりました。幼少期の記憶や両親との関係、現在の家族関係、仕事の状況等、思いつく事を全てカウンセラーへ話します。それから4年以上経ちました。最近になってようやくアイデンティティを取り戻したように思います。20代の頃の自分と50代の頃の自分は違って良いのです。

だから彼とのやり取りの際に自身で疑問に思った「20代の頃の自分はこんな人間だったっけ?」の質問は「違う」と今では自信を持って答えられます。その時は仕事の忙しさに追われ、自分自身を見失い・自信を失い・不安で彷徨っているような状態だったのだと思います。幼馴染の死をきっかけに、自分を見つめ直し数年かけて「違う」と自信を持って答えられるようになりました。

この4年ちょっとの間に仕事も私生活も激変しました。主力事業は変わり・グループ会社が増え・生活の拠点は札幌が中心になりました。50代も半ばになり、今彼に「50代に何をしたいのか?」と問われたら自信を持って「後進を育てる。50代も半分になっちゃったけどね」と答えます。

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