世界にはさまざまな「季節のお菓子」があります。
連載「世界お菓子カレンダー」では、フランス・グルノーブルのパティスリーで研修した製菓衛生師のMamiさんに、「世界のさまざまなお菓子」のルーツなどを季節に合わせてご紹介いただきます。
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2月といえば、バレンタインデーですね。日本中がチョコレートの香りに包まれます。今月はオーストリア・ウィーンを代表するチョコレートケーキ『ザッハトルテ』のお話です。
ザッハトルテは、生地のカカオの香り、アプリコットジャムの酸味、そしてグラズールという上掛けのチョコレート糖衣の甘さが混ざり合った複雑な味わいが特徴のチョコレートケーキです。無糖の生クリームを添えることで、全体を柔らかく包んで食べやすくなります。
甘過ぎるケーキが得意でない日本人にもファンが多いのではないでしょうか。他のチョコレートケーキと大きく違うのは、少しシャリシャリとした食感のグラズールで、製法はとても変わっています。
水、チョコレート、たっぷりのグラニュー糖を火にかけて約110℃まで煮詰めます。この温度は、あくまでも目安。ベテランの菓子職人は、熱々のシロップを人差し指と親指でこねて、糸の引き具合で粘度を確かめるのです。
煮詰めたシロップの一部を、板の上に広げてパレットナイフで練ります。ねっとりと固まってきたら鍋に戻し、この作業を4~5回繰り返します。シロップの表面がキラキラと見えたら、砂糖の再結晶化の合図です!
グラズールをアプリコットジャムを塗ったケーキの上に一気に流しかけ、余分なものをパレットナイフで手早くはらって完成です。上手くできたものは程よい厚みですぐに固まりますが、煮詰め加減や練り加減が甘いと薄くかかってしまい、綺麗に固まりません。かける時の温度も大切。まさに化学です。
さて、このように難しい製法のザッハトルテを生み出したのは、一体誰なのでしょう?
所説ありますが、オーストリア外相としてウィーン会議の議長を務めた後に宰相となった政治家メッテルニヒが、1832年に厨房にある命令を出したといわれています。それは「贅沢三昧で舌の肥えた上流階級の人々の接待用に、今までにないような美味しいお菓子を作りなさい」というものでした。
ところがその時料理長は病気で、使命を果たしたのはなんと16歳の実習生フランツ・ザッハーだったのです。彼が作ったケーキは非常に人気で、名前をとって『ザッハトルテ』と呼ばれるようになりました。後にハプスブルク家の献立表に載るなど、宮廷御用達ケーキになりました。
1876年、フランツの次男であるエドヴァルト・ザッハーがウィーン市内に『ホテル・ザッハー』(Hotel Sacher)を開きました。名物はもちろん『ザッハトルテ』で、大人気でした。ところが、1930年代に入り、経営難に陥ったホテル・ザッハーは、同市内の有名菓子店『デメル』(Demel)に援助を仰ぎました。
すると、門外不出だったザッハトルテのレシピがデメルに伝わってしまい、デメルでも『オリジナルザッハトルテ』が売られるようになったのです。これに対して、ザッハホテルはデメルを相手取り、商標について裁判で争うことになりました。7年~9年ともいわれる『甘い戦争』の結果は…?『オリジナルザッハトルテ』の名は、ホテル側が占有できることになり、デメル側のものは、単なる『ザッハトルテ』として売ることを許されました。デメルの『ザッハトルテ』は、アプリコットジャムをサンドしていないのと、上に飾るチョコレートの形が違うぐらいで、他に違いはありません。
実習生だった少年フランツは、どのような思いでこのお菓子を生み出したのでしょう。そんなことに思いをはせながら、甘いザッハトルテをゆっくり召し上がってみてはいかがでしょうか。また違った美味しさを発見できるかも知れません。
(写真・文 Mami)
Mami
製菓衛生師。
日本菓子専門学校卒業後、フランス南東の街グルノーブルのパティスリーにて研修。帰国後、洋菓子店勤務を経て、1997年から小さなお菓子教室を始めて現在に至る。
季節感を大切に、素朴かつ洗練されたお菓子づくりを心がけている。
ブログ https://ameblo.jp/mami-skitchen-sweets/
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